再生2~映画「PERFECT DAYS」
~前ブログを終了し、本ブログを新たに作成するに当たって、その理由は次回以降にご説明申し上げる。まず、年末が差し迫ったこの時期に、直近の私の頭の中をお知らせして、一年の皆様への感謝を申し上げたい。~
今日、半月前にネット予約していた映画「PERFECT DAYS」を観てきた。映画鑑賞は和歌山に来てから2回目で、昨年9月初に観た「PLAN75」以来だった。
例によって、高野山周辺に映画館はないので、大阪に出るか和歌山市にでるか、或いは奈良に出るか考えた末、車が混まなそうな奈良の映画館に行くことにした。
映画を作った監督はドイツ人のビム・ヴェンダース氏、主演は役所広司で、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所が男優賞をとった映画だが、映画作成の発端は異色で、「THE TOKYO TOILETプロジェクト」という公益財団と東京都渋谷区の共同企画。
それは、公衆トイレにつきものの4K(汚い・臭い・暗い・怖い)イメージを払拭しようと、東京渋谷区内の公衆トイレを世界的に活躍するクリエーターたちが改修したことをきっかけに、同監督が作成した。
映画の前評判や鑑賞後の感想は、小津安二郎監督を敬愛するヴェンダース監督の手法や、主演する役所広司や他出演者の演技を褒めるものが多かったが、私にはどうも消化不良だった...
映画は確かに観る価値がある。その理由は後述するが、PLAN75にも感じた物足りなさがこれにもあった。
当初の目的を尊重して、同区内の公衆トイレの斬新な発想や面白さ、快適さなど、それに役所広司が描くトイレ清掃員ヒラヤマの見えない苦労・努力や清掃の大切さはよく伺い知ることができるが、映画の本意として訴えたかったものについてはどうなのか?
役所広司だからこそまだ僅かに感じ取れるものがあるが、間に挿入された同僚(柄本時生)の恋人(アオイヤマダ)とのやり取りや、同じく同僚の耳が好きでトイレに遊びに来る少年、仮想影像のように出てくるホームレス(田中泯)、或いは、最後の居酒屋のママ(石川さゆり)の元夫(三浦友和)との絡みなどは、私には殆ど不要に思えた。
ヴェンダース監督が敬愛する小津安二郎ならば、そうした50,60歳を超える高齢独身男性、女性の、極めて変化ない質素な日(の)事の繰り返しの中に、平山が行ったような仕事昼休みにいつも神社境内で摂る軽昼食の美味しさ、その目先に見つけた大木根本の若芽の可愛さ、仕事を終えて浴びられる銭湯の嬉しさ、その後に寄る駅地下飲み屋や美人ママがいる居酒屋でのチューハイの美味さなど、その<有り難さ>がもっともっと丁寧に描き出されたのではなかったか。
この映画は、そうした日々変化ない日常の暮らしの中にある<楽しさ>や<嬉しさ>、そして<有り難さ>といったものを、普段の暮らしの些細なこと、僅かなものに感じ取り、淡々と暮らしていくことができるはずの<人の強さ>を強く訴えたかったような気が、私はした。その主張の糸口となる小石は、確かにこの映画は投げている。
主役ヒラヤマは私の年齢より若い想定なのだろうが、私はヒラヤマとほぼ変わらない生活をしていて、路傍に在る石や花、咲く花や落ちる葉、吹く風や舞う雪などにも、10年前、いや5、6年前とは違ったものを感じられるようになってきた。
そういう<感覚>が自身に備わっていくことは、少なくても映画の主役ヒラヤマが毎日生き生きと、楽しそうにトイレ掃除できることにも通じるものがあるように思える。例によって、上映された映画館は割りと大手ではあったが、幾つかあるスクリーン規模は最小で、座席は1/3も埋まっていなかった。ただ、配役の関係なのか、PLAN75よりは若手の観客が多いのは確かだった。


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