<当該>と<支援>
[おことわり]
前ブログ閉鎖に当たった私の<理由=想い>について、次回次回と予告してきたが、1日に発災した能登半島地震の日々変化する状況を前に、思うことが次々湧いてくる。それらの中に、先述の<想い>に通じる領域があることにふと気が付く。
そうした震災を考えながら、先日来の宿題も語り始めたい。
<当該>と<支援>
能登半島地震発災から連日、私は震災の現状を伝えるインターネットの「令和6年(2024年)能登半島地震・石川県災害ボランティア情報」やSNSの地震関連情報(各市災害ボランティア情報等)に目を通すことが日課となった。
中で、昨日、facebookで以下の発信を見つけ、考えさせられた...
この発信は、Nakagawaという石川県金沢市在住の青年が1/14にfacebookにアップしたものだ。彼は被災地に向けた 1)不要支援品の送付、2)自家用車で支援物資を持参する行為、3)宅配業者に救援物資送付を依頼し送る行為 の3つについて、『この際もうやめていただきたい』と強く訴えている。
訴えの概略は、1)賞味期限切れの飲食料や不要不救品(千羽鶴など)は、送られたら迷惑 2)被災後の道路状況の悪さ(不通・損壊等)に拘わらず個人車両が大量殺到すれば、渋滞は必至。人命救助及び地元民車両の通行を妨害する。ガソリンスタンドの給油制限もあり、個人車両故障時にはJAFへの迷惑も起こる 3)深刻な人手不足状況の運送業界に対し、全国からの物資送付は余計な負担増となる...等々。
彼は結論として、『自分がよかれと思ってやっていることが、迷惑だと思っている人がいることをもう一度考えてみてください』と結んでいる。
彼は被災当事者として、現地外からの支援の在り方に大きな疑問を投げている。
彼の発信を見て、私は13年前、東日本大震災の支援活動に入った際、同じような光景を見聞きしたことを思い出した。それは、岩手県での支援活動の初期に、全国から寄せられた救援物資を三陸沿岸部に運ぶ集積拠点となった盛岡市の某センターでのことだった。
大きな体育館のような天井高いその倉庫には、全国から送られた支援物資が山と積まれていた。しかし、その中には賞味期限切れの飲食物だけでなく、着古して誰も着ないと思えるような古着や、何故この非常時に送ってくるのか疑問に思える生活用品まであるという話を聞いた。
また、当時の報道で幼児や高齢者用にオムツが不足しているニュースが伝わると、大人が一抱えするような大きなオムツの袋が、それこそ過剰に渦高く積まれている様も見えた。加えて、飲み水の確保もままならない当時に、煮炊きが必要な米の30kg袋も所狭しと届いていて、場所によっては至急品には到底ならないと首を傾げることもあった。
それらは送った側からすれば、「この程度の賞味期限切れなら非常時は必要とされるだろう」とか「この非常時ならこれもそのうち役に立つだろう」などと考え、支援者が不要なものまで送られたのかもしれない。しかし、非公開の後日談を語ると、全国から寄せられたそれら善意溢れる「不要不救品」は、結局、各地域ごとにほぼ廃棄されるしかなかった。
この結末は、全国支援者の<想い>を裏切る無情な行為と受取られかねないため、<支援>をいただいた被災現地の人たちにとってもよくよく考えた末のことであり、その心中は計り知れない。
こうした善意の<支援=supply>は、被災現地の<必要性=needs>と得てして合致しないことが多い。何故なら、被災現地では、その地理的条件(広汎陸地・陸地先端部・半島・孤島等々)や人口密度(都市部・地方域・過疎地等々)、年齢構成(各年齢層の比率含む)、社会的条件(商業域・農村域・住宅密集域・過疎集落域等々)などが被害状況に大きく影響するため、救援ニーズも状況によって当然変わってくるからだ。
加えて、今回の能登半島地震は、地方の半島域であるが故に幹線道路も限られ、そこが損壊すると物資や人的な流通経路=救援手段が寸断されかねない。そうなると「孤立状態地域」が多発することは必至で、発災後1週間の1/8で24地区3,300人、1/10では22地区3,124人、1/15で少なくとも15地区415人が孤立状態(NHK 防災ニュースより)にあり、道は通っても支援が届かない「要支援集落」も未だ多数あると推測される。
ここ数日よく報道される「2次避難」とは、被災していない安全地域への避難を指すし、「広域避難」とは、更に他県に至るインフラが保全された地域への丸ごと避難で、これは被災現地の復旧の目処が立っていない証左でもある。
そうした状況下で、先述のNakagawa青年の主張は、<当該(当事者)>と<支援>の関係の難しさを率直に指摘したものであると思うが、では、被災現地にはおらず、連日深刻さが増す厳しい報道を注視し続ける私たちとしては、<何>を<どう(支援?行動?想い?)すれば>良いのであろう?
石川県では、道路渋滞を招き公的機関車両の通行妨害となるなどの理由から、一般市民個人や有志グループのボランティア現地参入を未だ抑止している(支援希望者のボランティア事前登録を設置)が、対して、NGOやNPO団体が既に現地に入り支援活動を行っているのは何故なのか。
それらのことに整理がつかないと、現時点で未だ発災事実が進行している<日本列島在住者>として、胸の動悸が治まりそうにない。
<当該>と<支援> 実は、約50年前、仲間と盛んにこのテーマを論じ合ったのだが、これには私たちが日常的に意識すべき重大な課題が含まれていると、今も私は考えている。
次はそこから語りたい。



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