<当該>と<支援> その2
国土交通省の気象庁HP(「各種データ・資料」タブ内)に、「日本付近で発生した主な被害地震」というデータ(平成8年3月~令和5年6月)が公開されている。
それは、全国で発生した震度4以上の地震を「発生年月日、震央地名・地震名、マグニチュード、震度、津波有無、人的被害、物的被害」の各項目で表したものだが、ズラッと並ぶ表ではよくつかめないそのデータをエクセルで数値分析したら、その驚くべき結果に目を見張った。
集計期間中(27年間)の全国の震度4以上の地震発生回数は180回(年平均6.67回=2ヶ月に1回以上発生する見当)。震度は気象庁設定全10段階(0~7)中の5と6には各々弱と強があるので、記載された4~7の震度を8段階区分し各0.5加算(例:5強は"2”)、発生回数との各積の和を全発生回数で除算すると、平均震度は毎回「5強」に近い震度("1.769")となる。
また、津波発生の件数は計20回(ほぼ2年に1.5回起こる見当)で、到達潮位は11~39cmが半数を占めた。人的被害は負傷者24,156名、死者20,179名、行方不明者2,566名で合計46,901名。確認死者は全体の43%を占め、行方不明者を含めると起こった人的被害の約半数(48.5%)は生存可能性を失うと言える。特に死亡被害が多かった地震は、H16.10.23新潟県中越地震68名、H23.3.11東日本大震災19,729名、H28.4.14熊本地震273名、H30.9.6北海道胆振東部地震43名などで、全て直近20年以内に起こっている。
物的被害は住家一部破損・半壊・全壊などの数値記載はあるが、その正確な数は把握できていないのが実態だろう。
私は中学1年(昭和40/1965)の時、その8月から顕著な揺れが約2年間連日のように続いた(現在も進行形)「松代群発地震(長野県長野市)」を経験している。それは有感地震6万回超、震度1以上の1日当たり有感最大回数585回=2.5分に1回、無感地震を含めると6,780回=約13秒に1回にもなる地震だったが、幸いなことに死者はなかった。
ただ、当時住んでいた場所から16kmしか離れていない山が震源で、マグニチュード最大5.4で揺れた1966年4月5日の震源深度は「0km」(気象庁記録)。深度5で揺れた時、私の隣りに立っていた姉が腰が抜けたように床に座り込み私の足にすがりついたことや、一時期は毎晩、枕元に着替えと靴を備え寝たことを記憶している。地震の揺れは、マグニチュードの大きさだけでなく、震源との距離、その深さや地盤状態などに大きく影響する。
先述の気象庁データでは、北海道の東端、紀伊半島・四国・九州の南端一部などを除き、地震は全国漏れなく発生している。また、相模トラフ沿いを含む首都直下地震や、南海トラフ地震(静岡~宮崎広域エリア対象)の可能性が政府の中央防災会議で検討されている現在、日本全国、何時でも何処でも、大きな地震は起こり得ると言うしかない。
そうした「地震大国」日本において、目下進行している能登半島地震被災地への対応報道を見聞きしていると、あまりに疑問に思うことが多い。
インターネット情報や手元資料で調べる限り、日本の災害時防災システムは概ね以下であると思える(「防災士教本2023年度版」参照。事実誤認などあればご指摘願いたい)。
昭和34(1959)年発生の伊勢湾台風を契機に、昭和36(1961)年に「災害対策基本法」が制定され、日本の総合防災対策の基本となる。同法では、国・地方公共団体の責務や組織、防災計画の作成義務、財政金融措置などを定め、防災行政の基礎的単位を「市町村」と位置付けたが、緊急時には国、都道府県がその機能を代行するなどの法改正を数回重ねている。
その概略は、①「第1フェーズ(災害予防対策)」②「第2フェーズ(災害応急対応)」③「第3フェーズ(復旧・復興)」に分かれ、①は国の中央防災会議での防災基本計画、指定公共機関(日本銀行等の金融機関、日本赤十字社等の医療機関、NHK,NTT等の報道通信機関、電力・水道・ガス等生活インフラ、鉄道等交通インフラ、生命維持物資輸送等の流通インフラ等々)及び指定行政機関(独立行政法人等)での防災業務計画、都道府県・市町村での地域防災計画の各立案を義務化、他には防災訓練、物資備蓄などを。②は、公的機関による警報発令、消防・警察・海上保安への出動命令、住民への避難指示、応急の公費負担などを。③は、災害復旧事業及び国負担・補助、被災自治体への国の特別援助(激甚災害措置)、被災中小農林水産事業者への支援などを、適宜定めている。
東日本大震災での自助、共助、公助の連携不具合を踏まえ、市町村内一定地区での過去災害事例を踏まえた居住者及び事業者(地区居住者等)による「地区防災計画制度」が新設され、地区居住者等の相互の支援が求められるようにもなっている。
また、行政組織では、総務省消防庁(火災対応、救助活動)、警察庁(警察活動)、国土交通省(河川氾濫対策、道路維持、住宅耐震化)、海上保安庁(海上保安・調査・救出活動)、厚生労働省(DMAT, DPAT, DWAT)、防衛庁(自衛隊)などの関係省庁が、各々の災害時対応法令の下、予防措置、災害時対応を講じている。
こうした公による防災体制・対応の一方で、民間のNPO・個人ボランティアなどの災害時支援活動への参画や連携の仕方が、私にはよく見えなかった。
石川県では、公に設けた災害ボランティア情報の特設サイトでボランティアの事前登録を指定しているが、未だ県外及び地域外からの個人・有志ボランティアの被災現地参集を制止している。道路修復が進まず、救命救助車両や住民車両の通行妨害になるとの理由からだが、それでもfacebookやX(旧Twitter)などを見ると、公的機関以外の各種NPO団体や有志ボランティア団体の支援活動が、発災翌日当りから県の災害ボランティアセンターなどでも徐々に報告されるようになっている。
この不思議を確かめようと、ネットで「NPO法人/行政との連携/被災地での支援活動」などのキーワードで検索すると、内閣府が発信する「防災における行政とNPO・ボランティア等との連携・協働促進のための行政職員向け研修テキスト(内閣府防災情報:2017.12.7更新)」や「地方公共団体のための災害時受援体制に関するガイドライン(内閣府防災担当:2017.3月作成)」などの膨大な資料が目についた。
私が理解したそれらの内容を極めて簡単に言うと、全国組織の社会福祉法人(非営利)である社会福祉協議会は災害時に各地区に「災害ボランティアセンター」を設け、行政と連携して主体的な支援活動を行うが、その他は、社会貢献・慈善活動を行うNPO法人などが都道府県・市町村・各地区などと個別に連携契約し、その要請に応じて公認の民間支援活動を行う、ということではないかと思われる。
「NPO法人など」の内には、長年のボランティア実績がある専門職(土木・建築・林業・清掃・栄養調理・医療・教育・福祉等々)集団や個人なども含まれ、行政・企業などでは扱いにくい社会的、個別的なニーズに柔軟に対応できるメリットなどが評価されている。
加えて、そうした各種NPO法人などと被災現地、行政、災害ボランティアセンター(社会福祉協議会)等との全体情報共有や活動連携を図るため、「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」など中間支援組織も生まれ、支援体制は複雑多岐に亘っている。
そうであればあるほど、目下、被災現地に入っているNPO法人などと被災自治体との連携契約はどのようになされ、どのように支援活動が行われているのか、疑問がある。それは、多分、過去の支援関係や関係者・団体などの応急的な紹介による、細い支援の繋がりにしか依っていないように見える。
事前に、各領域の災害時導入の支援体制・組織にNPO法人などがきちんと位置付いていれば、今のように、被災現地へのニーズ調査を各種団体が個々に何度も行ったり、『県など行政からの要請がなければ、公の(破損)道に勝手なこと(補修工事など)はできない』と地元建設業者が嘆いたり(1/8付NHKニュースより)、対策拠点に支援物資が結構集まってきても届ける人がいないなど、入り乱れた支援状況になっていないと思えるからである。
そもそも、今回資料の「災害時受援体制」という概念自体が、平成29(2017)年3月に作られた資料で初めて用いられたと思うが、2019年9月版の「大辞林」にはあっても、2018年1月版の「広辞苑」には「受援」という言葉自体が載っていない。それだけ新しい概念であれば、それを実施するシステムは当然未完成な部分が多く、前述の2資料以後、国レベルでの新たな同類資料が作成されていないことからもそれは推し量られる。
更に、防災行政の基本単位である市町村やその上位の都道府県ではなく、国が主体で災害対応する「非常災害」指定(「大規模災害復興法」に基づく)を、発災から3週間近く経った昨日(1/19)になってようやく発令するなどを知ると、呆れてものが言えない。
何れにせよ、今回の能登半島地震での民間ボランティア導入は如何ともし難いほど遅く、冒頭に挙げた気象庁データの恐ろしい結果を考えても、「災害関連死」と言われる<人災>がこれ以上増えないことを祈るばかりである。
私が東日本大震災の支援に先立ち情報収集のため現地入りしたのが、発災から3週間経った4月始めであった。その時には、自衛隊などの活躍により、道路はかなり応急復活、確保され、陥落箇所には鉄板仮設路や新たな迂回路などが設けられ、通れない幹線道路はほぼなかったと記憶している。
その三陸海岸の状況と金沢方面からの一方修復しか確保できない能登半島の状況は勿論違うが、馳県知事が『孤立状態の地域は解消したと言える』との昨日(1/19)報告に反して、『未だ一般車両の通行はできない』と言っている当の住人の声の方が、充分現実を物語っている。
これが、この「地震大国」日本の現状である。
考えれば考えるほど恐ろしくなるが、本日現在、未だにボランティア招集の声は被災現地からかかっていない。



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